悪人正機

悪人正機という言葉にまつわる、もろもろの問題や誤解は非常に周到に避けるべきだと思うので、そのためには「凡夫正機」という言葉を使った方がいいと私も思います。

ただし、だめな人間や、他に救われようがないという自覚をもった人こそが、阿弥陀仏の本願のめあて、

という意味であれば、「悪人正機」ということがいわれても、私はかまわないと思うんですよね。
もちろん、ひらきなおりになったり、造悪無碍の一念義になられては困るのですが(^^:w

三心料簡が、真宗系の思想が流入したもの、という説は、あんまり私には説得力がなくて、思想の特徴からそう言っているだけで、決定的な証拠はない気がするんですよね。
何か、資料上に決定的な証拠はあるんでしょうか?

で、「凡夫正機」を、ある方面から言うと、「悪人正機」になるのではないかと思われるので、「凡夫正機」>悪人正機 ということで、矛盾する内容ではないと思うんですよ。
逆に、悪人正機(の正しい意味での)を含まない「凡夫正機」はありえないと思うんです。

あと、私が疑問なのは、「悪人正機」かどうかということよりも、「摂取不捨」が徹底しているかどうかが気になるところなんですよ。

法然上人の場合、平重衡や遊女や、北条政子や後鳥羽上皇までが救われる、それらを決して見捨てない姿勢があるわけですよね。

親鸞聖人が、善鸞を義絶した件は、どうも、「悪人正機になってないんじゃないか?」「摂取不捨になってないんじゃないか?」と私には思えるんですよ。

Previous Post

Comments are closed.